過去の自分と出会う
先日姉から、家の中の整理をしていたら、あなたの古い荷物がいろいろ出てきたので、取りに来てほしいとの電話をもらいました。いらないのなら、全部処分すると。
う~ん、メンドクサイけど、見ないで捨てられてしまうのも・・・とのことで、しかたなく実家へ。
すでに何回か整理しに行っていたので、その残りです。実際、量もそんなに多くはなくて、45Lのごみ袋に余裕で入るくらいでした。
メインはガラスの大きな浮子と、古いほうろうの白いケトルで、両方とも昔絵のモチーフにしようと手に入れたものでした。ガラスの浮子は、40年以上前に山下公園近くのお店で買った記憶が・・・。そんなに高いものではなかったかと思います。ほうろうのケトルは、同じ大学の違う学部の男の子から奪い取った(?)もの。ごめんね、T君、今さら謝られてもね~。でも、ごめんなさい。きっといい絵を描くから許してね。
昔描いた油絵も1枚だけありました。亡くなった母がずっと部屋に飾っていたものです。でも、どうみても下手な絵、こんな絵を部屋に飾っていてくれたのね。なんか、胸が痛みます。
キャンバスは十分に使えそうなので、上から別の絵を描こうと思います。額はかなり古びていて使えそうもないので、処分してもらうことにしました。
中学生の時に夏休みの宿題で作ったテーブルクロスが出てきて、刺繡が間に合わなくて母だけでなく遊びに来た叔母まで巻き込んで手伝ってもらって、大騒ぎしたのを思い出します。これは、静物画を描くときに使えそう。
あとは・・・、中学、高校の英語の教科書、古い写真、絵葉書、賞状等、結婚したときほとんど整理して処分したと思ったのに。
いきなり40年以上前の自分と出会った気がして、でも、今とあんまり変わらないなあ・・・と思えて、笑ってしまいました。
英語の教科書だけ残していたのは、やっぱり昔から英語が好きだったのかな?
英英辞典が1冊あって、それは今でも使えそうです。教科書は、一応持って来たけれど、読み返すこともなさそうなので、処分しようと思います。
人間の底にある思いって、あまり変わらないのでしょうか。今でも英語と絵が好きなのが不思議。
成長のない自分にため息が出るのと同時に、昔夢見ていたことに再度チャレンジしているのが、何か嬉しいです。
ただ、義兄からちょっとキツイ一言をいただきました。
「絵のサークルにいつから入ったの?4月から入っていて、まだ1枚も作品を仕上げていないって、絵をやっている意味があるの?」と。
返事に詰まりました。確かに、描かなければ意味がありません。
義兄も絵が好きな人で、部屋にはたくさんの作品が並んでいます。
また、私の絵を応援してくれて、自分の画材を買いに行ったときには、お土産に、鉛筆や練り消し、その他もろもろをもらっています。
言い訳ばかり言ってないで、一枚でも絵を仕上げるようにしましょう。
来年早々にグループ展があるのですから。